春には雨を 和尚には沢庵を ハルサメアン
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ほむらさんの恋愛エッセイをよむ
2010年 08月 16日 (月) 00:34 | 編集
moshimoshi.jpg

「もしもし、運命の人ですか」穂村弘(メディアファクトリー)



わたしはこれを、白バイブルと勝手に呼んでいる。(赤バイブルもある。)
ほむらさんは色んな本で恋愛のことを書いているのだけど、
この本は、まるまる1冊、それがテーマなのです。


これはのっけから、敬愛する姉・ひとみさんの作品が引用されてるんだぜ!


膀胱炎になってもいいからこの人の隣りを今は離れたくない  柴田瞳


ほむらさんはこの歌を引用して、

「ときめき」に鷲づかみされた乙女心が生々しく詠われた秀作だと思う。


と評している。

初句6音がいいよねとか「隣り」の送り仮名がとか語順が効いてるとか
そういう歌会的なことはすっ飛ばしても、これ、絶対分かりますよね女子なら・・・

トイレに行っているその一瞬に、和民の、つぼ八の、白木屋のその座布団は、
ぜったいに違う女子(あんがい悪気のない男子)に奪われているんだぜ・・・!



ほむらさんの恋愛エッセイにおける記述がどんなものかは、この後に書いてゆくとして。

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死があるから生がある/舞台における小林賢太郎について
2010年 04月 11日 (日) 03:40 | 編集
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2010.2/20 小林賢太郎ソロ公演「spot」 @横浜ブリッツ(昼公演)




小林賢太郎は、ラーメンズの、もじゃっとしてないほうの人です。
そのひとのソロ公演を、2月に観ました。

あと、過去の公演「potsunen」と「maru」をその前にDVDで観たので、
まとめてみようと思います。だいぶ時間がたったので、かなりくるしいが。

出典協力:Jみー(DVD貸してもらって、チケットもとってもらいました!)





1 身体表現に対するこだわり

2 こまかい隙をみせる

3 結末に見られる、死の暗示について

4 まとめ:信じられるということ、そして舞台でしかできないこと



ネバーエンディング卒業論文/野村萬斎「国盗人」
2009年 12月 22日 (火) 23:53 | 編集
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「国盗人」 世田谷パブリックシアター(12/12 昼公演)


この前見た「国盗人」を、卒研のつづきのつもりで考える。(ええー!)





わたしの卒業研究は「シェイクスピアの現代化」というものでした。
でも、もともとわたしは大好きな悪役の研究がしたかったので
悪役が登場する「リチャード三世」とか「マクベス」を選びました。

で、今回観たのは、「リチャード三世」を昔の日本に置き換えたもの。
卒論のメインだった四大悲劇のひとつ「マクベス」も、春に野村萬斎主演で上演されます。
これはなんと、現代版なので、まんま、卒業研究にかぶるのです!わくわく。

(うっかり、発売開始から2時間後に電話したら全公演1階席売り切れ。ぎゃふん)

東京でシェイクスピアの劇はしょっちゅうどっかでやってるだろうに
なんで野村萬斎のばかり観るかって、それは、好きだからです。笑




【配役ざっくり】


リチャード三世 → 悪三郎(野村萬斎)

マーガレット(破れた赤薔薇一族の王妃)→政子
エリザベス(白薔薇一族の王妃)    →
アン(リチャードに口説かれてうっかり再婚)→杏
皇太后(リチャード三世の母)           

→ぜんぶ白石加代子が衣装をかえて演じる



【物語のはじまり】

原作は、15世紀イングランド、薔薇戦争のあと。
この作品では、野村萬斎の演出らしく
戦国時代の日本を思わせる時代に置き換えている。

ステージには、奥行きのある能舞台を模したセットが組まれている。

冒頭、客席の通路からパラソルの女(これも白石加代子)がふわりと現れ、

「夏草や兵どもが夢の跡」

とつぶやくと、
舞台は現代から数百年の時をさかのぼり、
その場所でかつて繰り広げられた血の戦いがよみがえる。(で、本編スタート)





ということで以下、いくつか見出しを立ててぽろぽろと考えてみる。
そしてさすがに、折りたたむ。じんじょーじゃない長さやん。。





【もくじ】

1 ひとりで「女」を全部演じると、どうなる
2 わたしたちも共犯
3 影法師の活躍、そして「馬はどうするんだ?」の答え
4 野望の行き着く先とは?
5 でもちょっと分かんないこと 呪いと鬼とロザリオ
6 強引にまとめるっていうか


深夜、デニーズで
2009年 11月 21日 (土) 03:48 | 編集
2年ほど前に、ある話題作を読んだときの感想を、
ちょっと趣向をこらした形で書いてみました。
(夏くらいに書いてたのを、今思い出したのです。)





この前、新しいバイトを始めました。渋谷にある、チェーン店のカフェです。
入ってすぐに歓迎会を開いてもらったのですが、そのときに、
同時にバイトに入ったもうひとりの子と仲良くなりました。
その女の子とは、面接のときにも会っていて、ちょっと気になっていたんです。
二次会のカラオケのあと、「もうちょっと話したいね」ってお互いに盛り上がったので
ギリギリで間に合いそうだった終電には乗らず、ふたりでオールすることにしました。

公園通りの坂をぶらぶら歩き、パルコの横を過ぎて、デニーズに入りました。
深夜のデニーズは、黄色っぽい優しい光に包まれて
がやがやと楽しい空気が漂っています。ここはいつまでも眠らない場所なのでしょう。
ちょっと無愛想なウェイトレスさんに案内されて、
ふたりで窓際のテーブル席に向かい合いました。
適当にふざけあいながら、ドリンクバーで飲み物を選びます。
私は暖かいダージリンティー、彼女はメロンソーダをとって、席に戻りました。

初めて会ったときから、
彼女には、なんだか不思議な雰囲気があるなあと思っていたのです。
小柄で可愛らしく、いつも微笑みをたたえていながら、どこか、うっとりと遠くを見つめているような。
尋ねてみると、やはり私と同じように上京してきたばかりで、二十歳そこそこ。
他にも出身地や趣味などを聞きあったりしていたのですが、
東京に出てくる前のことがなんとなく気になって、私は軽い気持ちで聞いてみました。


「高校時代って、どんな風だった?」


そこから、彼女は流れるように過去を語りだしました。



 彼女は、高校の同級生と運命の出会いをした。
 16歳でその恋人の子供を妊娠したものの、
 彼の元彼女に突き飛ばされて流産してしまう。

 そんな中、恋人が突然人が変わったように冷たくなり、別れを告げられてしまった。

 恋人が去った理由も分からないままつらい毎日を送っていた彼女。
 それでも、合コンで大学生と知り合い、彼の優しさに気持ちを解きほぐされ、交際がはじまる。

 新しい恋人と幸せな毎日を送っていたある日、
 彼女は、かつての恋人が突然自分のもとを去っていった理由を知る。

 かつての恋人は不治の病に侵されていたのだった。
 彼女は、彼のそばにいることを決意、優しかった恋人に別れを告げる。



彼女は、少しも言いよどむことなく、とうとうと語り続けました。
最初の恋人とのことも、次の恋人とのことも、
どんなエピソードも省かず、ひとつひとつ語って聞かせました。
途中で、何度か眠気がおそってきたけれど、なんだか遮ってはならないような不思議な気迫があり、
また、たしかにものすごく濃い内容で続きも気になったので、
私は辛抱強く聞き続けました。
途中でドリンクバーを3回お代わりし、2回トイレに立ちました。


窓の外が少しずつ明るくなってきました。


 病床の恋人は、彼女と穏やかな最後の日々を過ごし、短い生涯を閉じた。
 彼女は絶望に沈むが、彼の子供を宿していることに気づき、希望を見いだす。



やはり、彼女の恋人は亡くなってしまったのだそうです。
ここまで、6時間以上話を聞き続けたわたしは、やはりもらい泣きをしてしまいました。
これだけの劇的な体験を十代のうちに・・・。なんということなのでしょう。
涙をこぼしつつも、平凡な毎日を送ってきた私は驚くばかりです。


「じゃあ、電車も動いたし、帰ろっか」

彼女は、涙をふいて、さっぱりした表情で言いました。

早朝のスクランブル交差点は、飲み会帰りの人がぱらぱら歩いているくらいで、
昼間や夜に比べると、寂しいほどに静かでした。

渋谷駅で別れ、それぞれの電車にのって帰途につきます。
座席に腰掛けると、どっと疲れが出て、今度こそ本格的な睡魔が襲ってきました。


私は眠りに落ちていく中で、ぼんやりと考えました。


「で、その妊娠してた子どもって、どーなったんだ?」


彼女はその後すぐにバイトを辞めてしまったのですが、
しばらくして、あるケータイ小説が話題となりました。

「恋空」というタイトルで、書籍化、映画化もされて、爆発的にヒットしました。

「超感動するんだけど!」的な感想を耳にするたびに、
私はあの日の、デニーズで夜通し聞き続けた彼女の語りと、陶然とした表情を思い出すのでした。




たしか大学4年くらいのとき、映画化とかで話題になってて、
友達にURL教えてもらってノリで読んでみたのですが(PCとかじゃなく、ほんとに携帯で)

夜12時まわったくらいから読み始めて、ほんとうに朝方までかかってしまったのでした。
ライアン・ラーキンという人を知った。
2009年 10月 07日 (水) 01:39 | 編集
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きのう、雨のスペイン坂の、小さなシアターで、
「ライアン・ラーキン 路上に咲いたアニメーション」を観た。

下北沢で観たやつといい、最近カナダづいているなあ。


若くして栄光をつかんだものの、その後、路上生活を送った天才アニメーション作家。
過去の作品と、ドキュメンタリーと、仲間によって完成された遺作など、
数本のフィルムから成る1時間ほどのプログラム。


やっぱり過去の代表作、
「ウォーキング」(1968)、「ストリート・ミュージック」(1972)がよかった。


「ウォーキング」は、水彩の色が鮮やかに明滅しながら、本当にひとが歩いているだけ。
でも、少しずつデフォルメされていたり、誰一人として同じ歩き方をしていなかったり、
「歩く」という動作をここまで凝視した、っていうことがすごいんだとおもう。

「ストリート・ミュージック」も、美しい線が流動的に動き続けて、
命を持った水を眺めているような気持ち。線はあるけど、輪郭はないんだなぁ。


この2つは、ただ動いてるだけで、プリミティブなのに、すごくおもしろかった。
動作そのものや、「音楽」がタイトルになっているように、
いわば、純粋な詩みたいなものだったんだとおもう。
「ウォーキング」の人々が、夢の中のような表情でただ歩くだけだったように、
本人も、ただやりたくて、夢中で作ったんじゃないかと思う。


この後、最後に上映されたのが、
35年ぶりに制作に取り組んだものの未完のまま残され、
仲間が完成させた遺作「スペア・チェンジ 小銭を」(2008)。
そこには、かつての作品に見られた動きのモチーフも再現されているのだけど、
なんとなく、前のにくらべて、少しつまらなくなっていた気がする。

それはたぶん、アニメーションに、意味や情報を盛り込んでいたから。
あからさまな意味のせいで、詩的な美しさとかドキドキする感じは失われていた気がする。
人物の表情は「こう思っている」という記号性を帯びて、やや平板だった。
恋人と宇宙に飛び出して地球を眺める、なんて題材は、すごく「ふつう」な感じがした。

途中で亡くなってしまっているので、どこまで本人が作ったものか分かんない。
でも、こうやって遺作が形になったのはすごい価値があると思う。


25歳にしてアカデミー賞にノミネート。
早すぎる成功が、彼を苦しめ、転落させた、という。
それも含めて、最後に観た遺作は、なんだか少し悲しい印象を残した。

初期作品から遺作までの軌跡と共にある天才の人生をたどる、濃密な体験でした。

今までぜんぜん知らなかったので、観れてよかった!
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