春には雨を 和尚には沢庵を ハルサメアン
春雨庵
スポンサーサイト
--年 --月 --日 (--) --:-- | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
かみつきますので
2011年 04月 30日 (土) 03:07 | 編集
IMG_6464.jpg
水槽に馬肉が投入されても起きなかった  Canon Powershot G7


IMG_6460_2.jpg
あたし、ピュア。よろしくね☆


IMG_6480_2.jpg
高齢のオランウータン。毛布や衣服など、いつも何かをかぶっているそうだ。


IMG_6475.jpg
わおきつねざる。薄切りにしたバナナをほそい指でつかみ、小器用に皮をむいて食べる。


IMG_6479_2.jpg
いません でも かみつきますので
スポンサーサイト
水の国
2011年 04月 30日 (土) 03:03 | 編集
IMG_6418のコピー
夢を見ること  Canon Powershot G7


南のある町にまねかれたときの写真
(取材ではない)

桜の咲き始める頃でした。あったかく、あかるいところです。


IMG_6422.jpg
"You are my lucky star"


IMG_6408.jpg
この船のなまえは「にらいかない」


IMG_6403.jpg
島まで、たった15分の航路である。こどもはやわらかい。


IMG_6439.jpg
蓮のみずべ


観光素材は見ておぼえることはできても、
観光素材らしい写真を撮ることはできない。


つづきます。
湖畔のできごと
2011年 04月 24日 (日) 01:33 | 編集
2009_2010winter_0009.jpg
日記帳が、湖に落ちたという噂を聞いて Nikon EM / Nikkor 50mm F1.8



じぶんで、いじけたことを言っていたら

ほんとうに、いじけてしまって、とてもいじけている。

おいおい!



美貌か才能かどっちでもいいのでほしかったです。


あっ


嘘をつきました。


どっちもほしかったです。ほしいです。ほしいな!


(誰にねだっているの)
鉄分入りミルク、虹のかかる便箋、アシカの夢の盗み方について
2011年 04月 11日 (月) 02:24 | 編集
IMG_6468.jpg
知とは。信頼とは。



信頼とは何でありましょう

わたしは信頼をたいせつにしたい





わたしはピアノを習っていました。

ブランクはあるけど16年、ずっと同じ先生についていた。

幼い頃からのすりこみ、もあるのかもしれないけれど
今思うと、わたしは先生を心から信頼していたのだと思う。きびしかったけど!
音楽的な感覚の素地は、ぜんぶ先生がつくってくれた。

だから、ずっとピアノを好きでいられたし、レッスンを続けられたし、
指示もすべて納得のいくものだった。

レッスンはできなくなってしまったけど、
もちろん今も、その信頼は揺らがない。


大人になって、何かにおいてそういう絶対的な「先生」がいたということは、
とても貴重なんだと思うようになった。





歌のはなし。





今年から、勉強の場をふやした。

もともといた場所は先生のいないおおらかな集まりだ。

新しい場所には、「選歌」を中心とした指導のシステムがある。

どれだけわたしが、もっといいものをつくりたいと痛切に思っていたとしても

どれだけ、こうかてきめんな指導を欲していたとしても、

99パーセント、選ばないシステムの場所。(だってあまんじゃくだから)。





選んだ理由はいろいろあるんだけど

でかいのは、

わたし自身では自分のことを信じられないので、
わたしを信じてくれた人のことは、信じようと思ったからです。

そして、つくるものにとても信頼をよせている。

こういうのをつくる人になら、と思えたからです。





そして今、折にふれて、とてもけちょんけちょんに、指導をうけています。

飲んでは、泣かされます。まじで、容赦ないです。

わたしは生来ぷらいどがたかいので、

この、根底にある信頼がなければむりでした。(ぷ)


しかし、この「容赦のなさ」こそが、

逆に、わたしに対する信頼のあらわれなのだと思っています。





そしてこの、げんじつせかいとの はるかなきょりよ


死と歌と未来


少しまえに、そんなことを書いた気もするのだけどね…


それどころじゃなかった、本当に


とてもじゃないけど、


おつきあいは、


できま


せん





あえて合わない話題をとりあわせてみました

それくらい考えていることと現実が合わないっていうことです




信頼


わたしは信頼したい


自分をわかってくれる人を好きになる、そのまずさはわかっている


ひとつめの方の話題、

「自分を信じてくれたから、信じる」

これも、当てはまるのかもしれません。という自戒。

でも、大丈夫だと思うのです。

もっと広く深い意味で、信頼をよせているから。





ふつうの生活でも、心から、じぶんから信頼をよせられるひとを探したい

そして仲良くなれたら、ちょっとだけ、話せたらいいなと思う。さっきのような話を。


それで引かない人が、いればいいんだけど。
ろんぐろんぐ そうろんぐ
2011年 04月 11日 (月) 00:54 | 編集
2009_2010winter_0002.jpg
いっしょうけんめい かたおもいをしているのね きみは
Nikon 35Ti / Fuji X-tra400(たぶん)


こんなときに東京電力の電気をつかうのかよ。
というつっこみを飲み込みつつ、先週末、また東京へ行ったのでした。

土曜の朝9:30発のANA246便に乗り、2泊して、月曜の昼から会社、という
すでに、いつものパターンでした。


2泊したので2回とも飲んでいる。
友達にも会ったし(うめちゃん、ゆまちゃん、ほんとにありがとう!)
メインとなるのは朗読のイベントだったのだけど、
あえて、飲んだ話を書こうとおもう。





土曜日は、最後の店(3軒め)で、かんぺきな、へべれけの、美人を見た。

かんじやしほりに、似ていた。
とてもきれいな人で、クラシカルな花柄を織り込んだ、切り替えのワンピースを着ていた。

やわらかい笑みを浮かべて、となりの男性の肩で「ぐー。」と眠っていた。
とても、しあわせそうだった。

その町の飲み屋さんの常連の集まりにまぎれて、わたしはその場にいるのだった。
案外、そういうのは平気である。



とにかく「かんぺきなへべれけの美人」を、見ることができてよかった。

彼女は、一緒にいたお姉さん(これまた美人)につきそわれて、タクシーで帰途に。
階段の下まで、男性2人に両脇をささえられて、ふわふわと降りた。

わたしは、彼女の上着を捧げ持って、ついていった。

タクシーが走り去り、春の夜風がつるりと、背中を撫でた。


最後はわやわやでよく分かんなかったが、
横浜馬車道にとってるホテルまで、終電で帰った。

同行のひとと最後はうたの話になったが、

2軒目でものっっっっっそいけちょんけちょんに言われていたので

けっきょく泣いてしまった

次の駅でそのひとは軽やかに降り、

ぐしゃぐしゃに泣いたまま、わたしの前でドアは閉まった。

電車がすいてきたので、ぐしゃぐしゃのまま、座席にすわった。

そのまま、ぐう。と、眠ってしまった。目覚めたら元町中華街、終点である。

タクシーで、ホテルに帰った。800えんだった。





2日目は妹の家に泊まる予定が、遅くなったことできれられてしまい、
きゅうきょホテルを取ったのであった。

弁明しますとですね
時間の感覚とか、妹が風邪ひいてたとか、いろいろとずれがあってですね
でもあの場をわたしはとてもじゃないけど、中座できなかったのよ


その飲み会はとてもとても穏やかで楽しくて、何となく、ふんいきが「きれい」だった。
幹事のお姉さんの人柄によるものなのか、
集まった人々ひとりひとりの活躍によるものなのか、
それとも10年くらい続いているという「ごはん会」だからなのか。

きらきらと明るい、夢のような場所にいた。


ずっと作品を見てもらっている人に
「きょうだい仲いいんだ?」と問われ、とくいげに「ハイ!」と答えて小一時間後、
妹に電話でキレられて「わかったよお姉ちゃんが悪かったよもう行かないから」と言い、
その後大泣きする姉はどうしようもないとしか言い様がない。

けっきょく泣くのかよ。

もうしわけなかったです。


前日のへべれけ美人にはしっかり者のお姉さんがついていたが、
わたしの場合は逆でもなく妹は飲まないので、あり得ないのであった。


気づけばわたしがその場ではいちばん年下。
もしかすると、大人ばかりの場所でとても居心地がいい、というのもあったかも。





終電前になごやかに解散。

あわててじゃらんで取った東急インの部屋は、
幹事のお姉さんがもともと部屋をとっていたホテル。
チェックイン後、しばらくわたしの部屋に寄ってもらって、
おしゃべりにつきあってもらった。
ティファールのポットでお湯を沸かし、
緑茶のティーバックでつくったお茶を分け合って飲んだ。
どんなに心づよかったか。

お姉さんは北海道のひと。
びっくりするくらいキュートで、やさしいひとだ。





2日間で、「しっていたけど初めて会うよ!」という人々にたくさん会った。

土曜日は、とても可愛い、年下の女の子にも会った。
思慮深くて心優しくて、いっぱつで好きになってしまった。


会うってしぬほどだいじよ。





尊敬する人たちに、「またこっちに出てこないの?」と言ってもらえた。だから
わたしは今いる場所で仕事をいっしょうけんめい頑張ろうと思う、今は。
そうやって努力を続ければ、忘れないでいてもらえれば
来年も言ってもらえるかもしれないから。


そうしてこれ以上ないタイミングで、いつの日か、動くことができたらいい。


東京から戻って1年後の春なのでありました。


相変わらず、彼氏はできません。
上海哀埃
2011年 04月 10日 (日) 23:33 | 編集
IMG_6389.jpg
田子坊 でんしぼう


旅行中なぜかカメラの設定が超低解像度に!!きいい。

IMG_6390.jpg
IMG_6393.jpg


IMG_6365.jpg
豫園(よえん)。この国の人々はポージングが大好きである。
他にも、ポージングをする女性をがしがし撮る彼氏をたくさん見た。


IMG_6318.jpg
いちばん美味しかったのは、買い食いの焼き小龍包!たしか75円くらいだったとおもう。
ふつうのデパートのフードコートみたいなとこで買うの。
ほんっとーに、美味。これは、また食べたい。

IMG_6398.jpg
南京路の夜は意外と早くて、22時すぎにはいろんなお店が閉まってしまった。
浦東のライトアップも終わってしまうし。
小腹が減ったのでみんなで食堂に入ってラーメン。これは「牛肉麺」、あっさり!
「青島ビール」をいっしょうけんめい注文して
おじさんに通じたときの、うれしかったこと。うすいからごくごく飲んだ。


その前には、みんなでマッサージに行ったの。
日本人駐在員御用達というそのお店。
出て来たお茶は玄米茶で、お茶うけはチーズおかき。

わたし時々、会社近くのタイ古式マッサージに行くんだけど、
あたりはずれが大きくて。。。

ここでは、いわゆる「按摩・マッサージ」というやつでした。
目の見えない人の、たしかな技術で、友達全員がまんぞくして帰った。
ほんとうに気持ちよかった。こころから「謝謝」。

按摩の資格をとる学校に行っている人と、キャンプで会ったことがある。
そのときいろいろ、触診とか、脈のこととか、話して教えてもらったんだけど、
自分がやってもらうのには、このやり方、考え方が合っているなあと感じました。


あ、話とんでしまった。


わたしはあんまり観光写真が撮れないので、こんな感じでした。

あとフィルムは久しぶりにSMENA35を持っていったのですが、

さて、どーなっていることやら!(未現像)
上海憂夕
2011年 04月 10日 (日) 23:30 | 編集
IMG_6314.jpg
ブルー・ハイウェイ


先月、高校の部活の友達6人で上海旅行に行きました。

金曜には代休をとりました。

そうです金曜日でした。


わたしたちの乗る便は14:55に登場開始でした。

空港のロビーのテレビには、国会中継が流れていました。

ぼんやりと眺めていると、地震速報。

このまえも宮城で地震があり、あそこはよく揺れるなあと思いつつ

そのときはおばあちゃんに電話したら別に大丈夫そうでした。

しかし「震度7」の文字が映り、これはやばいなーと思って

いそいで電話。2回目でつながりました。

従兄や伯母にはつながらず。





ツイッターを見ていると、東京でも揺れていることが分かり。





「おっかねがったー」という、おばあちゃんの声が

聞いたこともないくらい怖がっていて。

電話中にまた余震がきて、電話は切れてしまった。



以後、飛行機に乗るものの、ほとんどうわの空で旅行を過ごしてしまいました。





友達と一緒だったのはほんとうによかったと思う。たのしかった。
やっぱりわたしの高校時代に、部活があってよかったと思う。

でも、わたしはTLを追わずにはいられなかった。ツイッターユーザーはわたしだけ。
TLに流れる情報のひとつひとつが濁流のように束ねられ、危機感というものを成していた。
「その感じ」を見てしまっていたわたしとそうでない友達では、
温度差があったような気がする。

ツイッターやってないひとは情報遅い、とかそういう話じゃなくて。
ツイッターユーザーであり、かつ旅行中に見られる状態、というのがわたし一人だけを
変なテンションにしてしまっていたという、あくまでも状態の話。

さらにわたしは、唯一、岩手県に血縁をもっていた。
内陸で全員無事だったとはいえ、気が気じゃなかった。
というわけで、くらかったかも。ほんとに、申し訳なかった。


移動中のバスとか、ついつい、見てしまう。
パケ代かかるのに、やめられない。iPhoneの電池はあっというまになくなる。

帰国後、家族と話してほっとしたときにようやく、
「あ、冷静じゃなかったんだ」と思った。

後日、友達が心配して、iPhoneの料金確認のしかたをそっと教えてくれたよ。
だ、大丈夫でした、なんとか…。
(十数万円の請求がくるかもしれないとか思ってた、あとで)





ツアーだから、途中でわけわからん土産物屋に連れて行かれる。

たのしかったけど、まじシルク布団とか押し売りされとる場合やないでーと

思ってました、あはは…。




256698940.jpg


夜はホテルの部屋で、テレビを見た。

このとき、CNNとかBBCが見れていたのはよかったなあと、後で思った。

民放を見ずにすんだのも、よかったなあと思う。

中国のメディアも、地震報道一色だった。


日本ではたくさんの人が考え、使命感にかられ、いろんなことをツイートしていた。

わたしも本当に眠れなくて、CNNでどんな報道がされているか、たんたんとツイートした。




256952271.jpg
仙台行きの欠航を知らせるアナウンス。


帰りの中国国際空港機内では、ありえない級数の見出し文字が踊る新聞を、
みんなで回して読んだ。

ツアー中は考えたってしょうがないんだから楽しむべきだったと思うし、
誰一人として、日本がこんなことになっているとは知り得なかった日。

やはりわたしは少し暗くて申し訳なかったような気がする。

でも旅行は楽しかった。みんなと一緒に行けてよかった。ほんとうに!!ありがとう。
copyright (C) 春雨庵 all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。