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鉄分入りミルク、虹のかかる便箋、アシカの夢の盗み方について
2011年 04月 11日 (月) 02:24 | 編集
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知とは。信頼とは。



信頼とは何でありましょう

わたしは信頼をたいせつにしたい





わたしはピアノを習っていました。

ブランクはあるけど16年、ずっと同じ先生についていた。

幼い頃からのすりこみ、もあるのかもしれないけれど
今思うと、わたしは先生を心から信頼していたのだと思う。きびしかったけど!
音楽的な感覚の素地は、ぜんぶ先生がつくってくれた。

だから、ずっとピアノを好きでいられたし、レッスンを続けられたし、
指示もすべて納得のいくものだった。

レッスンはできなくなってしまったけど、
もちろん今も、その信頼は揺らがない。


大人になって、何かにおいてそういう絶対的な「先生」がいたということは、
とても貴重なんだと思うようになった。





歌のはなし。





今年から、勉強の場をふやした。

もともといた場所は先生のいないおおらかな集まりだ。

新しい場所には、「選歌」を中心とした指導のシステムがある。

どれだけわたしが、もっといいものをつくりたいと痛切に思っていたとしても

どれだけ、こうかてきめんな指導を欲していたとしても、

99パーセント、選ばないシステムの場所。(だってあまんじゃくだから)。





選んだ理由はいろいろあるんだけど

でかいのは、

わたし自身では自分のことを信じられないので、
わたしを信じてくれた人のことは、信じようと思ったからです。

そして、つくるものにとても信頼をよせている。

こういうのをつくる人になら、と思えたからです。





そして今、折にふれて、とてもけちょんけちょんに、指導をうけています。

飲んでは、泣かされます。まじで、容赦ないです。

わたしは生来ぷらいどがたかいので、

この、根底にある信頼がなければむりでした。(ぷ)


しかし、この「容赦のなさ」こそが、

逆に、わたしに対する信頼のあらわれなのだと思っています。





そしてこの、げんじつせかいとの はるかなきょりよ


死と歌と未来


少しまえに、そんなことを書いた気もするのだけどね…


それどころじゃなかった、本当に


とてもじゃないけど、


おつきあいは、


できま


せん





あえて合わない話題をとりあわせてみました

それくらい考えていることと現実が合わないっていうことです




信頼


わたしは信頼したい


自分をわかってくれる人を好きになる、そのまずさはわかっている


ひとつめの方の話題、

「自分を信じてくれたから、信じる」

これも、当てはまるのかもしれません。という自戒。

でも、大丈夫だと思うのです。

もっと広く深い意味で、信頼をよせているから。





ふつうの生活でも、心から、じぶんから信頼をよせられるひとを探したい

そして仲良くなれたら、ちょっとだけ、話せたらいいなと思う。さっきのような話を。


それで引かない人が、いればいいんだけど。
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