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春には雨を 和尚には沢庵を ハルサメアン
春雨庵
ほどけること、ほどけないこと
2011年 08月 08日 (月) 01:35 | 編集
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残暑お見舞い申し上げます



・東北沿岸へのボランティアを目的とした夏休み(半分はおばあちゃんちでグダグダ)

・家のこと。

あれだ、すごーく、ちゃんと書きたいのだ。





とりあえず家のことでも書こう。


東北の田舎の、かつてそこそこ栄えた家が、少しずつほどけていく

数年にわたる長い流れの中にいくつかあった節目のひとつが

わたしが滞在した1週間にあったと感じている



わたしの父方の祖父は農協の組合長だった人である

ここ数年病を得ていたが、

今年のお正月に、すうっと、不思議といえば不思議な亡くなり方をした

自分の〈ルーツ〉と離れて、しかしとくに気にせず育ったわたしは、

21で母方の祖母が亡くなったときにものすごく後悔した 
10年会っていなかった いつまでも悲しかった

大人になってからは自分でその分を取り返そうと、旅費を使って何度か足を運んでいた

だから父方の祖父のときは、あるていど、悔いを残さなかったと思う





わたしの父は祖父の次男である 福岡に暮らして20年近いわたしの家

その長兄である叔父は数年前に亡くなってしまった

そしてその長男にあたるのが、わたしがべったり懐いている従兄だ





すこしずつほどけていく家


かつて栄えて、たくさんの禍災にも見舞われた

わたしの暮らす福岡の家は、うんと距離があったからこそ

守られていたのかもしれなかった





長男の長男である従兄は、苦労をしたからこそ今の彼になった

頼もしく、真っすぐで、そばにいる人を安心させる
わたしにとっては、強くて優しいあこがれの兄


わたしが滞在したこの夏の1週間は、従兄にとって独身最後の1週間だった。

移動する車の中で話したり、夜遅くまでリビングで飲んだり、

兄がほしかったわたしにとって、どれほど貴重な機会だっただろう


従兄はこの家を出て婿に行く

もちろんいくばくかの反対をされながら。


祖父母をかばい、賃貸住まいになってからも一緒に暮らして支えてきた従兄

この家のために彼がどれだけのことをしてきたか、きっと誰もが知っている

だからもう、十分なのだ。

従兄を迎えてくれる、奥さんの実家でごはんを食べたときのことを彼は話した

「ああ、俺、ここんちの子になりたいって思った」

これまでは、家そのものや絶縁中の母親のことも、彼の幸せを邪魔していた

だから今度めぐりあった人と家が、婿入りを希望している家だったことは

何かの天啓だったのだ。

やっと新しい両親と、ぜんぶを分かって、受け入れてくれる人と出会えて、

ほんとうによかったと、心から思う。





従兄の育った家、そしてわたしの父にとっての実家は

数年前に事情で人手に渡っていて、

祖父母は町に出て賃貸のマンションに暮らしていた


そしてどういうことか、

この春、その屋敷(ってほどでもないけど家)は、

火事で焼失してしまったのだった。

わたしの父が高校生だった頃にも

あの家は火事にあっているのだ。


同じ家が2回も火事にあうなんて。





「でも、家が燃えちゃったとき、これでもういいんだって思った」

と、従兄は言った。

「やっぱり何かあるんだと思う、この家には」





かつて育った家が無くなってしまうこと、

わたしには絶対に分からない辛さだと思う

でもさっぱりと、従兄は語った





少しずつ、家がほどけていく

かつて田舎のある集落で一定の力を発散していた家がほどける

直系の人々が少しずつ去り、屋敷が失われ、

そしてさいごの長男は、新しい場所に迎えられて、新しい名字のひとになる




喪われてしまったつながりも本当はあるけれど、

盛岡に暮らす父の姉や弟とその家族、遠く福岡に暮らすわたしの家

わたしたちは「周辺」で幸せに暮らしていると思う

それぞれに家のことが好きだ 集まれば言い様のない一体感が生まれる


中心はほどけていく


でも、血を分けたわたしたちは、それぞれに暮らしていく





「一度決めたら人の言うことを聞かない」とか、

わたしと従兄は本当にそっくりである


大人になってからしつこくルーツを大切にしようとするわたしの態度は

やはり自分への興味であり、どうしても自己愛めいたものだと思う

でも大事にできる幸せな環境なら、やはり大事にしたいと思うの、です





従兄はわたしが帰る前の晩、入籍の準備のために宮城へ発った

その日の夕方、

わたしは従兄のチャリを借りて何にもない駅前(新幹線止まるのに!!)に行き

ビル1Fの小さな喫茶店で、ファミマで手に入れた無印の便箋に手紙を書いた

祖母と伯母(父の姉)のいるところでは、ちょっと書けない気分だった
(結婚しぶしぶ了承組の2人…もちろんそうにきまってる)


慎重に、文章を練った アイスコーヒーが汗をかいていた

手紙の言葉は木琴である 決して最初から構成を組み立てたりしない

封を切ったとき、ボールの群れがうつくしい木琴の上を転がるように

闇に隠れる見えない生き物と、そうっと息を合わせてゆくように

一語一語、慎重に、綴っていく





夜、プリウスで出発する従兄を外まで一人見送った

便箋2枚分の手紙を手渡す 泣いてしまったことは内緒である

「いつ読んだらいい?」

「糊で封しちゃったから、はさみのあるときに。」

実の妹より妹っぽいといわれ、完全に小学生のようだったわたし


結婚には誰よりも賛成しているつもり、でもその情けない甘えっぷり

ここでもわたしは、小さいときの何かを取り戻しているかのようだった


良い年をしてんのにうっとおしかったであろう7つ下の従妹に

従兄はさいごまで優しかった


わたしはいつまでも従兄の幸せを祈るし

ほどけていく家のことが好きだし 

「周辺」のいちばん縁で暮らすじぶんの家のことが好き


ほどけても何かは残る

わたしはずっと、あの東北の田園風景に心を寄せ続けるだろう
Comment
この記事へのコメント
ハジメマシテ
初めまして.

いえというものは ほどけていきますが
ひとまで ほどけてはいられない.
この世でいちばんたいせつな 感受性だと思います.一献.

 雲湧くや 彼岸此岸をおもうとき

ありがとう.

2011/ 08/ 08 (月) 03: 23: 11 | URL | クヌギタ ナオヒト # -[ 編集 ]
クヌギタさん

思いがけずありがたいコメントをいただきました。
読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます。

とてもとても個人的な内容でしたが、きちんとした文章でとっておきたくなりました。
大切にしたいと思えることこそが幸運だと感じています。

ありがとうございます。
2011/ 08/ 12 (金) 03: 31: 47 | URL | ばかなこ # -[ 編集 ]
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