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こりずにレビュー/「グーグーだって猫である」を中心に
2008年 07月 12日 (土) 00:07 | 編集
忘れないうちに、最近読んだ本まとめてラレツ!
レビュー記事はまじめにやると1冊分1時間かかるからやめとく。


「バナタイム」「ハゴロモ」よしもとばなな
「ばななブレイク」吉本ばなな


やっぱり「よしもと」名義にかわって、結婚して子供生まれてからのほうが
いい加減に力が抜けていて好きだ。とくにエッセイ。

人物評を中心とした連載コラム「ばななブレイク」
30歳のばななさんはものすごく尖っていた。
ブレイクという気分では読めなかったけど、頭をつかって読むのは気持ちよかった。
ぜんぜん分からんのは飛ばしたし。笑

「ハゴロモ」は、
ちぎれるような別れを経験して田舎にもどった主人公が、
善良でささやかで奇跡的なものに少しずついやされるお話。
ご本人がしんどいときに書いたのがいい意味でじんと伝わる。
やっぱり「吉本」名義のものよりもさらりと読めて好き。


「グーグーだって猫である 1」大島弓子


ずっと読みたかったのだけど、この単行本を出している角川が、
マンガなのにふつうの文庫本の形式で出してくれたのです!!
おそらく映画化に付随したイベントだとは思う。
が、多分映画は観ない。これに限っては全然違うものだろうから。


数々の名作を世に送り出した漫画家が、
猫のいるやさしく穏やかな暮らしを描いたマンガエッセイ。

こっから長くなったのでやっぱ追記あつかいです。
おそらくこの形式のマンガエッセイは
著者がもう20年近く前から書きつづけているジャンル。

オオシマさんはかつて「サバ」という猫と暮らしていて、
その猫と暮らす日々に感じたことを描いたエッセイを、
ゆるい簡略化した絵柄にのせて、何編も発表していた。

猫であるサバは、ずっと擬人化して描かれてきた。
「綿の国星」で確立した猫の描き方をそのまま用いて、
ゆったりした服をまとい眉間にしわをよせて立っている、
並ぶと著者よりも背丈のおおきい存在として登場した。

そのサバが、13年生きて、死んでしまった。

「グーグー」はサバの死を経て飼い始めた子猫で、
その後、保護した迷い猫の「ビー」も加わり、再び猫のいる生活が訪れる。
「グーグーだって猫である」は、そこから始まる。

オオシマさんは、エッセイマンガでは一貫して「猫のいる暮らし」描き続けている。
しかし、「サバ」が登場していたころの作品と「グーグー」が決定的に違う点がある。
それは、登場する猫たちが、もはや擬人化されることはなく、
見た目も仕草もれっきとした猫として表現されていること。
回想で登場する「サバ」が相変わらず擬人化されていることからも、
はっきり差を付けていることが読みとれる。

「サバ」が登場していたころの作品は、
「私と猫」ではなく、「私とサバ」の暮らしがテーマだった。
著者にとってサバは決して猫ではなく、同居人だった。
日々のさまざまな出来事や思いを共有しながらともに暮らす、唯一無二の存在だった。
だからこそ著者は、サバを失った今、
もう二度と猫を擬人化して描くことができないのだと思う。

サバに親しんだ私はすごくそれが切なかったけれど、
それでも猫を猫らしく描いている「グーグー」は
可愛い存在がオオシマさんの生活を豊かにしてくれてる感じを楽しむことができて、
やっぱりすてきな作品だと思う。

決して猫マンガでも女性性をつよく打ち出したエッセイでもないと思う。
なんでもない日々を描いていると言えばそれまでかもしれないけれど、
そこには著者の哲学や優しさが静かに染み込んでいる。

人生ってたのしい、すばらしいという気持ちが随所に織り込まれていて、
ドラマチックな出来事ばかりじゃなくても
おだやかに日々を積み上げていくことこそが人生なのだと、と
しみじみ思える作品でした。
猫もオオシマさん(作中で癌の手術をしている)も、
ずっとしあわせに長生きしてほしいです。
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